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ヨーガ

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人生も中盤となったところで、社命にて、2003年夏より仙台へ単身赴任という事に!そして2007年6月単身解消と思うまもなく、2008年5月に再び単身で大阪転勤決定。
思いもかけぬ人生後半、定年までの旅から旅への三度笠、家族もあきれて、ちょっこらごめんなすって! で大阪へ!

仙台単身住&食日記

仙台・東京そして遂に大阪へ、日記は三都物語へ?
22 novembre

続き

続きです。
19日は会社に出社して仕事、そしてその夕方にトーキョー入りしました。翌日の20日(金曜日)は、2年後の退職予定者に対する人事セミナーがあるのですが、全国から同期が集まるので、前夜に同期会の召集という事になりました。
銀座で飲むのは何年ぶりか? と遠くを見つめるヨーガでありました。
 
 
会合場所は探すのに苦労しましたが、某夜行性幹事SM氏の面目躍如、地下二階にある秘密のBARで、雰囲気上々!
栃の木の一枚板がカウンターやテーブルにふんだんに使われています。
 
そして、一番乗りと思っていたら、なぜか KING OF BEER と呼ばれるS女史と同時に入店。
 
そしてS女史の口から、既に退職した同期Wが入院生活を経て死亡したという衝撃の知らせが、、。
同期のなかで人気のあったW。今日はそのための集まりだったかと知る。
 
さらに続く、、、、。

大阪-出雲-松江-出雲-大阪-東京-横浜-大阪

おはようございます。
やっと日曜日にたどりつきました。よく働いています。
書きたいことは沢山ありますが、どこまで書けるかにゃーっと。
 
17-18日は、山陰出張で朝一番、赴任宅から伊丹空港へ、そして出雲空港。
出雲から松江にバスで移動して、17日は16:00過ぎには快調にお仕事終了。
翌日の訪問地の出雲市へJRにて移動して、17:30にホテルへチェック・イン

さて、地元の居酒屋探しと心浮き浮きの年中中年最大の行事予定だったのですが天気は小雨から本格的に雨が激しくなって、しかも寒い日本海の初冬であります。ホテルから傘を借りて、街へ飛び出したのですが、心浮き浮きから、この雨にエンジンやられて、現実路線へ変更であります。
 
  どーしたんだい Hey Hey 中年、 バッテリーもemptyだぜ とほっ
 
ホテルから約100メートル先に 日本海庄や を発見。
雨はますます激しく、、、
えっー、これは全国チェーンじゃないすっか。
それでも、日本海の店名に釣られました。飲みました。コメントなしです。

さて、翌日も出雲で快調に仕事をこなして、今度は、出雲市駅から特急やくもにのり帰宅です。
行きは1時間ちょっとの空路ですが、帰りは4時間超の鉄路であります。
早く取らなかったので、帰りの飛行機は満席でした。とほほっ。
この特急やくも、ものすごく揺れることで定評があります。
しかも今回は、車両の連結部に近い席だっので、さらに揺れがすごく、
本を読むとか、PCをチェックするとかを断念して、ぼーっと車窓の人であります。
 

 

すると中国地方の最高峰、そして100名山としても有名な、大山(だいせん)の雄姿が忽然と現れました。
仙台赴任時代に憧れた 岩手山 同様に風格のある山容であります。
むーん、登れるものなら、昇る前に、登ってみたいものだとまた心に残る山の発見であります。
 
    秋深し 八雲突っきる 大山輩   @@;
 
飛行機が予約できずの陸路でしたが、この百名山の大先輩に出会えて幸せざんす。
 
続く、、
 
12 novembre

遂にこの日が!

昨日、出張の宿のTVでジュビロ、中山選手の戦力外をニュースで知る。
遂にこの日がきてしまいました。
ヨーガにとって中山、名波、藤田は特別の選手であります。

   秋深し 記憶を飛び出せ ゴンゴール   

ジュビロの中山選手とは惜別であります。
ヨーガも戦力外まで2年弱、
次のチームでの中山、そしてJ2ロアッソ熊本の藤田とともに!!!
そして飛び出す中山に幸あれ!!



  
1 novembre

もう11月だっ!!

さてそろそろ秋も深まってまいりましたが、いかがお過ごしですか。

こちら昨日の土曜日は、大阪から山口県への日帰り出張でした。
新大阪から徳山までは新幹線に乗り、そこで在来線の岩徳戦に乗り換えました。乗車したことのない鉄道路線を体験できるのも、遠い地への転勤がもたらす一つの福音であります。

運転手一人のみ乗車のワンマン電車で一両編成のローカル線であります。
それで ワンワン電車 と命名して、子犬みたいにきゃんきゃん鳴きながら乗車してみました。( ちょっとうそが入っています。)
さらに単線の線路だったから、正確にはもう一吠え、ワンワンワン電車だと思われます。
 

この車両に乗り、目的の周防高森駅には、ことこと約45分の所要時間であります。車窓からは、稲刈りの終わった田んぼ、その傍らで、焚き火をしている二人の農夫の様子、まだ紅葉していない里山、時間がゆっくりと流れていきます。
この時間感覚は前回はいつ頃だっけと考えているうちに、思い出の世界へ、、、、、

このブログで小説の第2回目を掲載しましたが
昔の事を思い出す必要があり、度々、旅々の記憶を辿っています。

今よりも経済的には貧しい時代でしたが
自分たちと一緒に時代もがらがらと変わっていくという
ある種の連帯感や疾走していく爽快感、そして喪失感もある日々でした。
そこで生きてきた人々を再現できればいいけどねぇー

今年は忌野清志郎、大原麗子、加藤和彦の各氏が逝ってしまいました。
早く書かねばと思いつつ、それは多分、駄文、ヘブンということだけど、3回目を待っててね。


追伸: 昨日は天気もよく鉄度と思い出の濃いい日でしたが、今日の大阪は雨降りらしい。
17 octobre

小説第2弾

ようやく、恥の上塗り小説の不定期掲載の第2弾です。昨年の4月29日号の続きです。とても遅くなり、すいませぬ。事実とフィクションが混ざっていますがかなり事実に近いです。カテゴリーに小説という項目を設けましたので、以後、こちらからもアクセスできると思います。


夜半、微熱の頃を過ぎても  連載第2回


 ◆2章 バリケード封鎖への誘い

1969年とは、アメリカのウッド・ストックで40万人を集めた伝説のロック・フェスティバルが開催され、ロック音楽史上最も輝かしい年の一つであるとともに、日本では1960年に続き、10年毎に日本とアメリカの軍事同盟である日米安全保障条約が更新される1970年が近づいてとても騒然とした年であった。 

1970年からさらに10年間の条約延長しようとする日本政府とアメリカ政府の動きに対して、1969年は、左翼勢力を中心に、遂には過激派とよばれる集団が先鋭化、武装化し、条約締結を絶対に阻止するという壮絶な争いを政府に向け仕掛け続けていた。当時のアメリカは共産主義勢力からベトナムの民主主義を守るという名目のもとにベトナムに派兵し戦争を継続していた。 

世相は、70年安保条約破棄とベトナム反戦を大きなテーマとしながら、硬直した日本の政治・社会システムそのものへの造反も様々な場所で繰り広げられていた。この政治の季節、その戦いを担っていたのは、労働者よりも大半が大学生であり、大きな政治テーマを掲げながら、各大学では学費値上げ反対や大学自治についての自主管理を求めて校舎は次々と政治色の強い学生達に占拠、バリケード封鎖され、大学機能が麻痺する事態へと発展していた。そして、それは遂には都立高校にも波及することになる。 

ロック音楽と反体制の政治活動、それぞれが絶頂を迎えていた1969年に高校3年生であるということは、幸せだったか、不幸せだったか、今となっては判別するのは難しいかもしれない。そんな時代の頂で18歳のHの同級生たちは、大学受験に没頭する者、政治活動に目覚めて外部の政治集会に加わる者、未練たらしくスポーツの部活を続ける者、ひたすらロック音楽を聴いている者、悩みながらもどれにも加われず傍観している者、それぞれはバラバラに存在しながら時代が変わる節目にたどり着いていた。 

1969年、人間性を回復しようという史上最大規模のロック・フェスであるウッド・ストックの開催と日本の政治状況を変革しようという動きはまったく違うようで根っこではつながり、世界の到る所で、ロック音楽は新しい時代の音楽として熱狂的に支持され、そして政治体制に対する不満は、大きな変革の渦巻きとなって吹き荒れていた。

バスケット・ボール少年のHは、高校受験の時のように、ひたすら受験勉強をする意味、そして有名大学を目指す事の意味が薄れはじめていた。良い高校へ入学し、良い大学へ進学し、良い大企業へ就職して、安定した収入を得るという高度成長期の日本での成功物語の価値がわからなくなってきていた。当時の世界はほぼ社会主義国陣営と自由主義国陣営に分かれ、その勢力の優劣はまだ決着がついておらず、両陣営の代理戦争の場となったベトナムでは毎日、ベトナム民間人、ベトナム人民兵(通称ベトコン)そしてアメリカ兵がたくさん死んでいった。アメリカには、ロック音楽と民主主義・資本主義・自由主義そして帝国主義が同居し、H達にとってアメリカは憧れといやな部分が同居する存在だった。

灰色の三階建ての校舎には同じく灰色の屋上があった。校舎の屋上はところどころひび割れして痛んでいるところがあったが、早朝サッカーを終えたDHを誘い、人気のない校舎の屋上へ行き、そのコンクリートの床に座った。屋上には風はほとんどなく、弱い冬の日射しが二人を照らしていた。

  Dは辺りを見回して、誰も居ないことを確かめるとボソッとつぶやいた。
「来週の月曜日、遂に決行することになった。Hはどうする。」

  Hはまだ決めかねていたが、多分、参加することになるだろうと思っていた。この計画の中核メンバーが主張する、生徒会・文化祭の自主運営、服装の自由化要求、高校生の政治活動禁止反対などについては共感するものの、どうでも良かった。激動している世界、そして日本を尻目に、硬直した現状をそのまま肯定して、何事も無いように大学受験を強要する高校教育、教師にうんざりしていた。そうだ、今は立ち止まる時だという思いが心を占めた。立ち上がるのではなく、立ち止まるのだと。一度、硬直した日本の受験高校としてのK高校のあり方を止めてみたかった。

 「参加するよ」
Hは立ち上がり、ズボンのお尻あたりの埃を払いながら歩いて屋上の端へ進んだ。屋上から風のグラウンドと呼ばれる校庭を見下ろしてみた。登校する生徒達が校門から続々と入ってきていた。来週の月曜日はどうなる。ここが、この高校が封鎖され、みんな立ち止まることになると思った。沢山の人を巻き込むことになると思った。

 
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